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わたしの赤プリ
皆さんと赤プリの思い出に残るエピソードを募集いたします。
イチバン楽しかった赤プリは?イチバン美味しかった赤プリは?
皆さまからのメッセージ
東京都・女性・35才

38年前の10月18日、当時25歳だった私の両親は赤坂プリンスで結婚式を挙げました。結婚した二年後には姉が生まれ、その翌年に私が誕生しました。以来、38年という時間が流れ、父と母は今では二人の孫を持つおじいちゃんとおばあちゃんになりました。赤プリの閉館のニュースを聞き、父と母は最期のクリスマスイルミネーションを見に出かけました。思い出の赤プリで食事をし、写真を撮り、素敵なクリスマスを過ごしたそうです。そんな母から、一通のメールが届きました。「とっても名残惜しく、なんだか悲しくなりました」と・・。そして、そこには赤プリを彩るクリスマスイルミネーションの画像が添付されており ました。私にはそのイルミネーションが、赤プリの最後の晴れ姿を渾身の輝きで飾る、そこになんだか1人の人間の生き様をみたようにも思えて、とても胸が打たれました。赤プリがなくなっても、38年前に両親が誓い合った愛の炎とともに、その思い出は永遠に消えることはないでしょう。大好きな父と母に素敵な思い出をありがとうございました。 

2010.12

 
神奈川県・女性・44才

私たち夫婦は来年の5月で結婚20周年を迎える。主人も私もまだまだ若輩者の20代半ばでの結婚。そんなに資金はなかったけれど、私の夢であった“赤プリ”での披露宴だけは絶対に譲れなかった。あのゴージャスな雰囲気、おいし料理、そして感動の時間。その日の夜、赤プリの部屋から見た首都高の光の列まで もが、私たちを祝福してくれているような幸せの時間を私は忘れない。私たちの記念の年に閉館してしまうなんて、とても寂しく、悲しいが、永遠の思い出とし てずっと心に優雅な姿は残り続けることでしょう。 

2010.12

 
神奈川県・男性・49才

現在のモダン仕様のホテルは当時としては珍しく、しかも一等地にそびえるこの建物が赤坂プリンスホテルの新館であることを知った時、一度でいいから宿泊したい、食事をしたいなどと果てしない憧れを持ったものでした。偶然、仕事柄、当ホテルで学会や会議等で頻繁に当ホテルを使用する機会が増え、年に何回も利用させていただくことができ、これほどまで親近感を持ったホテルは他にありません。来年3月いっぱいで閉鎖されることを聞いた時の驚きは、今も忘れること ができません。そして、最後の記念にと思い、今夏に宿泊させていただき、最上階にて夜景を見ながら、慣れ親しんだ当ホテルとの思い出に浸りました。まもな く閉鎖してしまうことがとても寂しく、時代の歴史が終わってしまうような切ない気持ちになっております。来年3月までに最後のお別れに伺う予定です。グラ ンドプリンスホテル赤坂よ、長い間ありがとう。 

2010.12

 
神奈川県・男性・69才

来年1月に結婚39周年を迎えます。赤プリ旧館(元本館)で結婚式を挙げ、そして菊華会に入会できたことを誇りに思っています。優雅で伝統的な建築様式の旧館での結婚式は私の夢でした。当時のパンフレットや結婚の栞やお世話になった担当者の名刺等は大切に保存しています。菊華会からは結婚記念日や催しのお 知らせをいただき、利用させていただきました。夜景を見ながらの2人だけの食事、成長した子供との食事、そして孫に囲まれてのバイキング料理、京都や北海 道の家族旅行にはプリンスホテルに宿泊するなど、楽しい思い出が沢山できました。今は夫婦でゴルフを楽しんでおります。 

2010.12

 
東京都・女性・34才

赤プリと言えば、特徴ある外観を持つ建物。私は小さいころから良く家族でサイクリングをしましたが、“すくっ”と建つこの建物は道標のようです。1月は父の誕生日。来月1月に両親を40Fのブルーガーデニアに招待するため、昨日夕方、事前予約に訪れました。EV降りてすぐの40Fからの眺望は、誠に見事な富士山とそれに続く山々の稜線のシルエットがオレンジの空にくっきりと映えていました。これから更に一番の思い出を重ねます。 

2010.12

 
東京都・女性・56才

今から40年前、私は九段の市立女子高に通っていました。学校の友人達が麹町、紀尾井町界隈にたくさん住んでいたので、夏休みともなると彼女達を中心に 「赤プリ」のプールへウキウキと遊びに行ったものでした。それは、プールサイドで当時人気の歌謡番組の生中継があったり、“ちょっと背伸びして行ってみたい赤坂”にあるということも魅力だったからでした。厳格な学校だったので校則も細かく決められていて、普段きっちりした制服姿以外を見たことがない友人が、「赤プリ」にぴったりの色とりどりの華やかな水着で現れたときには、本当にドキドキしてしまいました。本当にそれは花が咲いたようでした。「赤プリ」というと、今でもプールサイドのざわめきや大人になりかかった頃のあまずっぱい思い出が胸に去来します。時が経ち、商家に嫁いだため、ほとんど休日のない生活になりましたが、それでも日曜日の朝、仕事前に一家で40階のラウンジでランチを楽しむことがよくありました。展望の良い席で、両親や子供たちとゆったり美味しい食事をするのは極上のひと時でした。また一時所属していたクラブの月例会が旧館で開かれていたので、その頃は毎月お世話になりました。旧館の落ち着いた雰囲気の中で香りのよいコーヒーをいただきながら、良い集まりができたと思います。
昨年末には主人が亡くなり、家族も同じメンバーでは集まれなくなりました。人生は一期一会ですね。思い出の赤プリが無くなってしまうのは淋しい限りですが、これも世の流れ。新しい時代に向かって、今後も真に良いものを追求して、最高のサービスと心地よい環境を提供してくださることを願って止みません。 

2010.12

 
東京都・女性

この赤坂の町から赤プリが消えてしまうと思うと寂しいです。私が初めて赤プリに足を踏み入れたのは25年以上も前、結婚式は赤プリでしたいとずっと思っていました。結局、式場がいっぱいで高輪プリンスになってしまいましたが、それからも赤坂に遊びに行ったりするとなんとなくホッとさせられる空間がありまし た。去年赤プリのクリスマスツリーが見たくて、ちょうど就職した娘が始めてもらったボーナスでご馳走してくれるというので、家族4人でディナーブッフェに出かけました。美味しいお食事をいただき、皆ご機嫌でした。 そして今年になって、赤プリがなくなってしまうと知りました。また今年もあのクリスマスツリーが見たい。来年からは息子も就職して家族でゆっくり食事に出 かけることもなくなるかもしれない。早速予約を、今年は呑み放題なんかにしたのが良かった。夜景の見える席を用意していただき、本当に良かったです。帰り道、あのツリーを見ていたらなんだかむしょうに寂しくなってきてしまいました。家族みんなの心に残る素晴らしい思い出をありがとう!いつまでも赤プリのことは忘れないでしょう。 

2010.12

 
広島県・女性・32才

「おかあさん、“あかぷり”ってなあに?」幼い頃、母に尋ねたことがあります。「誰でも知ってる日本の有名なホテルよ。日本の中心にあって、お母さんも小さい頃から憧れのホテルよ」みんなが略称を知っている素敵なホテル。幼い頃から「赤プリ」は私にとって憧れでした。25年以上の時が経ち、東京でタクシーに乗り「赤プリへお願いします」と毎回略して言ってみますが、いつも「はい、かしこまりました」という答えです。やっぱり皆さん知っている!新しいホテル が東京に増えていく中で、赤プリに来ると何故かほっと落ち着く温かさがありました。閉館を知り、ショックな思いと感謝の思いでいっぱいです。東京に来たら 赤プリへ・・ラストクリスマス、赤プリへ来れてよかったです。毎年変わらない素敵なクリスマスイルミネーション。閉まっても私の心の中ではずっと赤プリは 存在しています。有難うございました。 

2010.12

 
埼玉県・女性・41才

1996年の夏。会社の同僚4人で宿泊に来た。当時はレディースプランがとても流行していた。赤プリのファミリースイート。20代の私たちにはとても憧れのホテルであり、素晴らしいプランだった。部屋は白くて広く、プランについていたHotelのロゴ入りの使い捨てカメラ。現在でも当時撮った写真は忘れられない20代の思い出のひとつだ。その日がとても楽しくあまりにも充実した日だったので、次の年も来た。そして、1人が友達に話し、また1人が友達に話 し、毎年来るようになり人数も10人に増えた。そして丸15年、私たちは年に1回赤プリに集まっていろんな話をしている。その間、何人かが結婚し私も今年は主人と子供と来た。相変わらず集まっては馬鹿な話ばかりしている悪友と私だが(この宿泊を私たちは合宿と呼んでいる)、この赤プリ宿泊を1年の楽しみに仕事と育児を頑張って過ごしている。いや、今、今年と書くとすれば過ごしていただ。3月で終わってしまうのはとても残念ですが、ありがとうございました。 私たちの友情はここで育てられました。 

2010.12

 
東京都・女性・36才

ある年の誕生日のことですが、私の学生時代の思い出の地が赤坂ということで、主人が赤プリの宿泊をプレゼントしてくれました。夕食はトリアノンに伺ったのですが、ハープの音色が素晴らしく、お料理も最高。その時のスタッフの方の温かいお心遣いがとても印象的で、今も忘れられません。閉館までに、必ずまた行きたいと思うイチバンの場所です。閉館されるのは残念ですが、たくさんの思い出をありがとうございました。 

2010.12

 
埼玉県・男性・42才

赤プリといえば、夕日に輝くオレンジ色の姿です。炎のように光る新館へと進んでいくと、そこには、まさにホテルという非日常の世界が広がっていったことを思い出します。 

2010.12

 
東京都・男性・59才

1977年2月20日、折りしも吾が26歳の誕生日に婚礼となりました。思い出深き日を最良の日と位置づけるために(忘れないためにも)誕生日に決めました。更に、吾が伴侶にとっても、女性としての一生の晴れ舞台を、良き思い出作りとして、婚約を家内の誕生日にしました。当時はホテルでの挙式がステイタスのようでもありましたが、特徴ある式場がないかと数件の式場を探した結果、赤坂プリンスホテルの旧館が心に叶い、決めることにしました。若さ一杯のわがまま客の注文を快く受け入れてくれた接客スタップの応対に吸い込まれていった記憶がありました。また、特に印象的なことは、式最後の両親への花束贈呈の際、当事者よりも接客マネージャーの方が号泣していたことが、後々の思い出話として語られていて、今でも鮮明に心に焼き付いています。式および披露宴も滞りなくすみ、親族、来客、そして赤坂プリンスの皆様に祝福されて、新しいスタートをきることができました。ありがとうございました。また、小生も来年の2月末を以って定年です。何かの縁ではないのですが、ひとつの時代の区切りとして見極め、これから新たなスタートをきっていきたいと思います。長い間、お疲れ様でした。 

2010.12

 
千葉県・男性・70才

もう40年以上になります。私がここで結婚式を挙げましたのは、昭和42年10月のことです。さらに同46年4月には、弟もこちらで結婚式を行いました。 私の挙式後、毎年今の旧館裏手にあったプール(当時よく芸能関係のテレビ中継が行われていた)の利用招待チケットをいただき、楽しませていただいたのも大きなよい想い出です。
私の“赤プリ”とのお付き合い(おこがましいですが)は、結婚前から始まりました。会社の年末恒例のダンスパーティを、こちらで行わせていただいておりまして、企画・実施関係を担当した私は、ご相談にたびたびお伺いして、結婚後も後任と代わるまで携わってました。 また、毎年のように家族とのお正月、日枝神社お参り後の会食の立ち寄りに始まって、結婚記念日のディナーを楽しみ、息抜きの軽く一杯の時間も含め、何度となくお邪魔いたしました。娘の成人式後の会食もありました。その娘達は独立し、今は妻と二人で時間を楽しんでます。会社の先輩の送別の会食、同僚とのまた後輩との会食・歓談を通じての高級感溢れる雰囲気の中で、楽しいそして有意義な時間を過ごした私にとっての密接な絆は忘れることはありません。地方からの友人・知人との待ち合わせに会食にと、何かあるとお邪魔していました。40何年かのお付き合いの中で、一時は地方転勤で途絶えはいたしましたが、本社に戻ってからはまたお伺いして、グルメ等楽しませてもらっておりました。家族の記念日やお祝い事のときはここでとか、友人や知人との待ち合わせ・歓談の時にはここでというように、事々に合わせてほとんどのフロアの味を楽しませいただきましたが、高級感の中にアットホームな雰囲気を味わい、そして歓談した場所・時間も本当に中身の濃い思い出がたくさんある“赤プリ”ともお別れかと思うと、実に寂しく感じます。40何年かの昔のプール近辺からの外界の様子を懐かしく思い出し、そして現在の40階からの素晴らしい夜景もイルミネーションももう見ることが叶わないの です。残された時間、足を運び、素晴らしい雰囲気を楽しませていただき、心にしまっておきます。本当にありがとうございます。 

2010.12

 
東京都・女性・47才

トリアノンは本当に素敵なレストランで大好きでした。まさにその名の通り「宮殿」のような、優雅で上品な雰囲気はまるで別世界。本場のフランスにはとても行けないけれど、日本にいながらにしてフランス旅行の気分が味わえて、大切な人の記念日として、また自分へのご褒美として、特別な日に利用させていただいておりました。その思い出は、いつまでも心の中に色あせることなく、しまっておきます。他にもデザートが美味しかったマーブルラウンジや、夜景のきれいなトップオブアカサカなど、どのお店も素晴らしかったです。それぞれに楽しい想い出がたくさんあります。ありがとう。 

2010.12

 
東京都・男性・66才

赤プリとの出会いは、大学一年生のテーブルマナーの時でした。ナイフやフォークが並べられ、どれから使うのか等、まるでセレモニーで食べているような気持ちでした。それから8年後、大学の先輩が何人か挙式された関係で、私たちの結婚が決まったとき、先輩から自動的に結婚式と披露宴は赤プリで、と決められました。披露宴は旧館で行われ、それは楽しいものでした。終わった後の二次会では、その当時人気のあったダニー飯田とパラダイスキングが出演していて、彼らから会場にいた皆さんに紹介されたこともいい想い出です。残念なことに3月一杯で閉館してしまうことを聞き、3月2日の40回目の結婚記念日には、息子達と食事に行こうと思っています。私たちにとっても赤プリは永遠ですね。 

2010.12