

取引先へ向かう新幹線の中で慌しい昼食をとり、資料を読みながら移動する。
打合せと会食を終えると、倒れ込むようにして旅先のホテルで眠る。
全国各地を行脚する出張の日々も3年目を迎え、利用したホテルは数え切れないほどになった。
そしてとうとう先日――“3年目の正直”とでも言うのだろうか――
感動的な眺望に恵まれたホテルにめぐり会ったのだ。
あまりの感動に、仕事の疲れがさっと吹き飛ぶ。
しばし空っぽになった頭に、家で待つ妻の、少し疲れた笑顔が浮かぶ。
……そうだ、このホテルで過ごす「時間」をプレゼントしよう。
と、突然の思いつきで、帰り際に部屋をリザーブした。
何がそれほど素晴らしいかというと……おっと、それは、まだ妻には内緒だ。
仕事を終えた私と妻が合流したのは、ある金曜の夜。
こどもたちは祖母と楽しい時間を過ごしているはず。
1階ロビーラウンジに行きよく冷えたドリンクで喉を潤してから、上層階の部屋へ。
大窓にかかったカーテンは閉まったまま。そう、それでいい。
そして、朝。カーテンの隙間からまばゆいほどの光が、射し込む。
「晴れたみたい。どこに行こうかしら?」
まずはカーテンを開けてみればと言いながら、私はさりげなく珈琲を淹れ始める。
「……わぁ」
――思い切りよくカーテンを全開にした妻が、思わず言葉を失う。
ずっと向こうまで広がる澄んだ空の下、朝陽を反射してキラキラ輝く大きな水面。
そう、このホテルの格別な素晴らしさは、
広大な琵琶湖を窓いっぱい、贅沢に楽しめることなのだ。
目の前に広がる空の青、湖面の蒼。ブルーのキャンバスに雲が模様を描いていく。
この息を呑む瞬間こそ、妻にプレゼントしたかった時間。
「……まぁ、きれい! あ、あれは何?」
たちまち高揚する妻を見て、私はしてやったりという満足感でいっぱいになる。
美しい琵琶湖を目の前にして、さっそく外出計画を立てるのかと思いきや、意外なひと言。
「今日は、しばらく部屋にいない? この風景、ずっと見ていたいから」
穏やかな湖面を見下ろすと、ヨットやボートが描いた白波模様が揺れ、
トンビが眼下を優雅に旋回し、対岸のドライブウエーを走る車はミニカーのよう。
妻の言う通り、ぼんやり眺めていても不思議と見飽きることのない景色。
まるで車窓から風景を楽しむように、ゆっくりと朝の珈琲を味わいながら
日本一の湖の表情に癒やされるのも悪くない。
――あっちが琵琶湖の南端だよ。そのまま瀬田川となって、
いずれ宇治川と名を変え、淀川になって海につながるんだ。
――瀬田川にかかる橋は、唐橋といって
戦国時代、東日本と都を結ぶ要所としていろいろなドラマが起こった場所だな。
いつもならこどもの声でさえぎられてしまう私のうんちく話に
妻は小さくうなずきながら耳を傾けてくれている。
ずっと昔から、穏やかな表情をたたえ
人々の暮らしを見守り続けてきた琵琶湖のやさしさが、妻の静かなやさしさに重なる。
ホテルのスタッフに聞いたところ、
湖と、周囲を囲む山々は、季節ごとに異なる趣を見せてくれるという。
次に私たちが出会うのは、秋の紅葉だろうか、それとも春に咲きそろう芝桜だろうか。
今朝の妻の表情は、どうやら私を
ただの“旅人”から、とびきりの“旅好き”にさせてくれたようだ。
次はどこに行こうか――それを考える時間もまた、楽しいひと時になりそうだ。


