History

篤姫と高輪 花香路

「篤姫と高輪 花香路」

大河ドラマで人気をえた「篤姫」と
高輪の地に旅館として開業した「高輪 花香路」。
このふたつにはいくつかの由縁がある。

時は幕末。江戸城は倒幕をはかる新政府軍・薩摩藩と
「無血開城」という最期の望みをかけた話し合いを
幕府側・勝海舟、薩摩藩側・西郷隆盛に委ねていた。

交渉は当時、高輪の薩摩藩下屋敷、そして現在の田町にあった
薩摩藩蔵屋敷において二日間に渡ったという。

幕府側には「天璋院篤姫」という薩摩藩から嫁いだ姫がいた。
攻めるか、引くか。
高輪の薩摩藩下屋敷では天下を分ける話し合いが
藩内でまきおこっていたに違いない。

歴史の結末はご存知のとおり、この話し合いが互いの袖をひくように
静かに決着し、時代は大きく江戸時代の終焉をむかえることとなる。

江戸城の篤姫と高輪の薩摩藩。
この無言の関係が日本の歴史に刻まれる隠れた一幕だった。


薩摩藩下屋敷の跡地に佇む高輪 花香路。
物語は148年の時を経て、ふたたび巡り合うこととなる。
大河ドラマ「篤姫」そして「高輪 花香路」。
これらふたつのタイトルは書家 菊池錦子氏によって書かれている。