FIGURE 100
2016.06.08【Figure.17】
「イチローズ・モルト」を知っているか?
男たちの熱い物語に酔う、THE BAR「illumiid」 Vol.1
「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」が掲げる、フロンティア・スピリット。それを地でいく熱い男の物語が、このジャパニーズ・ウイスキーにありました。幻のウイスキーとも言われる「イチローズ・モルト」誕生の秘話をご紹介したいと思う。
某ドラマの影響で、ウイスキーブームが再熱している昨今。ここ埼玉県は秩父市にも、ジャパニーズ・ウイスキーへの熱い想いをたぎらせる酒造会社がありました。その名は「ベンチャーウイスキー」。「イチローズ・モルト」というブランドでウイスキーを製造・販売している同社は、大手以外では日本に数ヶ所しかないという、希少なウイスキー・メーカーです。今や国際的にも高い評価を受けるほどまでになった日本のプレミアム・シングルモルト。そこには、創業者である肥土伊知郎(あくと・いちろう)氏の、あくなき情熱と挑戦の物語があったのです。
肥土氏の実家は、1625年から続く老舗酒造。経営危機を迎えたのは、東京農業大学を卒業し、飲料メーカーに勤めていた頃でした。もともと酒づくりに興味があった氏は、この非常事態に実家へもどり経営を再建することを決意します。しかし経営悪化にはどめはかからず、400樽相当のウイスキーの原酒を廃棄する判断にせまられました。「ウイスキーは自分の子供のようなもの」という肥土氏にとって、到底受け入れられる話ではありません。「ウイスキーは今日造って明日売れるものではない。原酒は先代から受け継いだ大切な宝です。」その宝を何としても守らねば!という使命感で、ウイスキー樽の受け入れ先を探して奔走しますが、世間のウイスキー需要は下降の一途、断られる日々が続きます。そしてようやく福島県郡山市の笹の川酒造に許可を得た2004年9月、その原酒をもとにウイスキーの企画・販売を行う会社の設立を決断。「ベンチャーウイスキー」の誕生です!
肥土氏には、密かな勝算がありました。原酒をもとにつくった「イチローズ・モルト」には、その頃世に出回っていたウイスキーにはない、独特な風味と個性があったのです。「大量生産に慣れた舌には抵抗があるかもしれないが、愛好家には受け入れられるかもしれない。」そう考えた氏は、ウイスキーを小脇にかかえ、夜な夜な都内のバーを訪れては意見を聞いて回りました。その数は、2年でのべ2000件を超えたといいます。肥土氏の目論見は見事にあたりました! 徐々にバーのマスターやウイスキー愛好家たちの口コミから広がり、「イチローズ・モルト」は世に知られるようになったのです。
その後も本場スコットランドに視察に出向くなど、地道にウイスキーづくりを学び、2007年には念願だった蒸留所を設立。そしてその名声はついに世界へ!2006年、英国の権威あるウイスキー専門誌、「ウイスキーマガジン」のジャパニーズ部門で最高得点となるゴールドアワードを受賞し、世界が認めるウイスキーとして確固たる地位を獲得するにいたったのです。
この「イチローズ・モルト」に心底惚れ込んだバーテンダーの熱き想いは、次回へと続きます。