FIGURE 100
2016.07.22【Figure.42】
プリンスが佇む紀尾井町、
そこは和の芸事文化が栄えた“粋のある”街
江戸時代からその歴史が始まったと言われる花柳界。歌や踊りなどの「芸」を披露し宴席に花を添える「者」、すなわち芸妓文化は日本を代表する和の文化と言っても過言ではありません。ここ、「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」があるエリアも関東の六花街の一つである「赤坂芸者」の文化が発展した歴史ある街なのです。
赤坂育子——。芸者で唯一、旭日双光を受章した花柳界はもちろん、赤坂で知らない人はいないと言われる人物です。50年以上もの間、芸者として生き抜いてきた育子さんの目に、赤坂という街はどのように映っているのでしょうか。「今でこそ20数名に減ってしまいましたが、その昔は400名ほど芸者がいましてね。料亭も50〜60軒はあったかしら。かつてはプリンスさんの料亭のお座敷に呼ばれたこともありました。24歳で芸者見習いの“半玉”として上京し赤坂で生きてきたけれど、赤坂って本当に品があってそれでいて凛々しい街なんですよ。そんな街に、またお座敷に呼んでくださるお客さまに花を添えるのが我々芸者の務め。そのために日々芸の鍛錬に励むのです。」
一年、二年と練習しただけでは芸の道を極めたとは言えないのが芸者の世界。
現役50年を超える育子さんも未だにその道の途中だと言う。そんな芸への真面目さ、お客様を楽しませようという姿勢こそが赤坂芸者のプライドだとも語る。
「お客さまからの“ありがとう”や“楽しかったよ”の言葉を聞くために、私たち芸者はお座敷で芸を披露するんです。全てはお客さまのためなんです。それこそが喜び。早朝からお稽古をして夜はお座敷、そして年に一度春に行われる“赤坂をどり”のお稽古と一年を通し休みなしのハードなスケジュールではあるけれど、化粧をして着物に袖を通せばピリッと背筋が立つのも芸者の性ね。それに伝統を絶やしちゃいけないという思いも強い。だから思うの、赤坂芸者は粋があるって。強く、美しく、しなやかなの。この街と同じね。」
赤坂プリンス時代からお付き合いのある、育子さんをはじめとした赤坂芸者さんなど、我々はその土地の歴史や文化に敬意を表しお客さまをお迎えして参りました。「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」として生まれ変わったこれからも、街、人への思いを持ち続けながらさらなる進化を遂げるべく精進して参ります。
歴史と文化と粋のある街、紀尾井町で背筋を正してお待ちしております。