「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、長い間生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した「技術革新」と、世界と日本との間の技術の「交流」を主題とした近代の絹産業に関する遺産です。
日本が開発した生糸の大量生産技術は、かつて一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め、その生活や文化をさらに豊かなものに変えました。
敷地全体が国指定の史跡、初期の建造物群が重要文化財に指定されており、また「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録されました。
画像提供 富岡市・富岡製糸場
富岡製糸場と絹産業遺産群 世界遺産案内
富岡製糸場
明治5年(1872年)に明治政府が設立した官営の器械製糸場です。
民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界一の水準に牽引しました。また、田島家、荒船風穴、高山社などと連携して、蚕の優良品種の開発と普及を主導しました。
和洋技術を混交した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨レンガ造の繭倉庫や繰糸場など、主要な施設が創業当時のまま、ほぼ完全に残されています。
■アクセス:軽井沢 浅間プリンスホテルより車で平常時約40分
田島弥平旧宅
通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島弥平が、文久3年(1863年)に建てた住居兼蚕室です。間口約25m、奥行約9mの瓦葺き総2階建てで、初めて屋根に換気用の越屋根が付けられました。この構造は、弥平が「清涼育」普及のために著した「養蚕新論」「続養蚕新論」によって各地に広まり、近代養蚕農家の原型になりました。
高山社跡
明治16年(1883年)、高山長五郎は通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立しました。翌年この地に設立された養蚕教育機関高山社は、その技術を全国及び海外に広め、清温育は全国標準の養蚕法となりました。
明治24年(1891年)に建てられた住居兼蚕室は「清温育」に最適な構造で、多くの実習生が学びました。
荒船風穴
明治38年(1905年)から大正3年(1914年)に造られました。
岩の隙間から吹き出す冷風を利用した蚕種(蚕の卵)の貯蔵施設で、冷蔵技術を活かし、当時年1回だった養蚕を複数回可能にしました。3基の風穴があり、貯蔵能力は国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及びました。